あれから1年。
こんにちは。こんばんは。おはようございます。
なんか急に文章が書きたくなりました。
突然ですが、私は今アイドルオタクをやっています。
と言っても歴はそんなに長くなく、今年で7年目。
AKBで始まった私のオタク生活は乃木坂を擦りKPOPをゆるーく経てイコラブを経てハロプロにたどり着きました。今は通ってきたアイドル全部好きです。ずわんもね。欲張り。
好きになってすぐラブラドールレトリバーのCDを買って、指原莉乃ちゃんに投票した6年前が懐かしいです。
総選挙の時はTwitterの存在も知らず、"莉乃ちゃんぐぐたす更新しないのかなぁ"って思う中学生をやっていました。(ぐぐたす懐かしいですね)
すぐにTwitter見つけたけど。もちろんモバメも知りませんでした。
1年後の総選挙直前、去年の2位はとてもショックなことだったんだと初めて気づいたような見習いオタクをやっていました。(見習いオタクとは)
お気づきかと思いますが、わたしがAKBにハマったタイミングは世間よりかなり遅れていました。
この間のポニシュシュ10年だって、懐かしいね〜とはなれません。寂しいです。
世間がおそらくヘビロテだとかで盛り上がっていた時、わたしはAKBオタクの友達の部屋を見ても へ〜っ と思うだけの小学生でした。
それよりもその部屋に飾ってあった、地元のサッカーチームの選手からその子がもらったサインを見て、いいなぁ、と思っていたような小学生でした。
サッカーオタクの方が歴は断然長いです。
中1になる前の春休み、小学校の友達と行ったカラオケで私は初めて「恋するフォーチュンクッキー」を聴きました。それまでは受験生だったので、テレビは兄弟が見るドラえもんくらいしか観ていなかったもので。
そのカラオケが楽しくて、家に帰ってからも恋チュンのMVを見て、気づいたらAKBINGOにたどり着き、気づいたら指原莉乃ちゃんのことが大好きになっていました。
今までサッカー観戦と受験勉強くらいしかしてなかったわたしが、初めて音楽の分野で趣味ができました。
ライブに行ってみたり、握手会に行ってみたり、当時学校の友達の中ではかなり1人行動が得意な方だったと思います。
土日は部活の試合が入る可能性が高かったので必ず最後の部の握手券を取って、試合後直接パシフィコとか幕張に行っていました。学校が遠かったので幕張には片道2時間以上かけて行っていました。試合後に、です。
中学生のわたしはなぜあんなにも元気だったのでしょうか。
夕方に試合が入った時は泣く泣く死券にしていました。中学生にとって数千円の損はかなり辛かったですね。今でも引き出しに数年前の券が入っています。
高校生になってからは、部活が忙しくなり、加えて部活が好きになり、握手券を取る回数も減りました。コンサートに行くことも減りました。
部活内でもトップを競うくらい部活が好きだったと思います。
でも現場に行かなかったことはとっても後悔しています。今現場にできるだけ行こうとしてるのはそのせいですね。お金はないです。そろそろ家庭教師でも始めようかと思っているところです。
指原さんが卒業発表したのは、部活の大会の初日でした。もちろん私は試合会場にいました。
試合後、携帯を開いた瞬間指原さんのTwitterの通知がきて、チームメイトもコーチもいる前で泣いたことを今でも覚えています。次の日も試合だったので切り替えが大変だったことも、とっても、覚えています。
それから卒業まで、私は3月のAKB出張公演と卒コンしか現場には行けていません。でもそれでも充実した期間だったなぁ、と思います。
3月の出張公演は期末試験真っ最中の週末でした。卒コンは春の大会の次の日でかつ試験1.2週間前でした。
かなりハードな生活をしていたと思います。私基準でですけどね。
寂しかったけど、やっぱり楽しかったです。
黄色の一部になれたことがずっと誇りです。
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さて、タイトルの「あれから1年。」ですが、何から1年なんだよ!って言うと、私が怪我をした日から数えて、です。
春の大会を終えた高校3年生の私たちは、夏の最後の大会に向けてギアを上げていたときでした。私は松葉杖が必要なくらいの怪我をしました。膝のね。
人生で初めて松葉杖をつくことになりました。大事な時期に。
歩けない時点で覚悟はしていたけど、夏の大会は厳しいかもね、と言った診断でした。
先ほど書きましたが、私は部活が本当に大好きでした。部活のメンバーもとっても大好きでした。
簡単に言うと人生どん底に落とされたような気分だったわけです。
やっぱり最後って大事じゃないですか。終わり良ければ全てよし、って言うじゃないですか。
怪我してから引退までの2ヶ月間、私はプレーもできず、なんなら松葉杖もついてるし、ごっついサポーターしてたし、チームメイトもラストスパートだったので怪我人どころではないと思い基本的に誰にも不安や悩みを打ち明けず、毎晩毎晩一人で泣くような日々を送っていたわけですが(今考えるとすごい恥ずかしいです)、
そんな私の私生活唯一の支えがモーニング娘。'19 だったわけです。
怪我をして数週間、両腕松葉杖なら部活に来ない方がいいと言われた私は家にいる時間が長かったのですが、
なんせアイドルオタクだったもので、でも指原さんの卒業から1ヶ月でロスも抜けてなかったので「アイドル指原莉乃ちゃん」をすぐ見る勇気はでず、指原さんが好きだ!と言っていた"まーちゃん"を調べてみることにしました。その日にはハマっていました。
完全なる沼です。
YouTubeの履歴で検索してみたら、怪我してから3日くらいのことだったみたいです。早めに癒しができてよかったね、と去年の私に伝えておきます。
「まーどぅー」と言うコンビを知り、工藤遥ちゃんも大好きになりました。
今までAKB、指原さんばっかり好きだったわたしにとって、指原さんに追いつくくらい好きになるアイドル(ハルちゃんは元、だけど)に出会ったことはわたしのオタク人生において大きな出来事だったと思います。
怪我がなかったら今もまだモーニングに出会っていなかったかもなぁと思います。
本当は指原さんの影響で泡沫だけは発売当時から知っていたし、まーちゃんだけはどの子か知っていたし、歌番組もたまに見てたけど、なんでかハマらなかったので、やっぱり怪我して落ち込んでいたのが好きになるタイミングだったのかなぁと思います。
もちろん指原さんもですが、まーちゃんとハルちゃんに元気づけられながら毎日過ごしていました。それでも毎晩泣いていたけれど。
部活に関しては、結局終わりは全く良くなかったです。
怪我してからチームメイトと一緒にプレーしたのは最後の試合直前のアップ(練習)だけでした。
趣味を削って、あんなに部活に熱中して正解だったのか、と思うくらいには落ち込みました。
でも良い経験だったと思います。
そんな当時の私の精神面を支えてくれてたハルちゃん、まーちゃん、その他たくさんのアイドルも、今でもたくさん笑顔にしてくれているわけです。言うまでもなく指原莉乃ちゃんも!
1年前に指原さんが卒業して、アイドルは緩く応援していても現場に行くことはないと思っていた私は、まんまと新たなアイドルにハマり、秋にはまた現場に行き始めました。ひぇ。☺️
きっとこれからもずっとアイドルが好きなんだと思います。
正直、指原莉乃ちゃんに関しても、佐藤優樹ちゃんや工藤遥ちゃんに関しても、もっと早く出会っていたかった!って思うことが多々あります。
なんなら毎日思っています。
でも今応援できているのが幸せだなぁ〜って思わせてくれるのがわたしの推しメンさんたちです。幸せです。毎日好きが増していきます。いつもありがとう、って気持ちです。
……終わり方がわからなくなりました。
振り返り日記、楽しかったな。
早く推しさんたちに会いにいけるようになるといいな、という気持ちが強くなりました。
ばいばいっ(急)